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庄司 充

使命感をもつということ その2

前回からのつづき


過酷な任務を遂行したハイパーレスキュー隊の方々の記者会見を

見たとき、とても自分にできるようなことではないと

大きな尊敬の念を抱きながらも、ある種のうらやましさを

感じました。


ではなぜ、彼らをうらやましいと感じたのか?

少し考えてみたいと思います。


わたしは、1960年生まれで、団塊の世代よりも10年ちょっと

あとの世代になります。


子供のころには、東京オリンピックや大阪万博といった国をあげての

イベントが次々と開催され、東大安田講堂事件を最後に学生運動も

終息し、戦後の混乱期からようやく世の中がひとつのかたちに

収まりつつあった時代でした。


「一億総中流社会」ともいわれたそんな時代背景のなか、

わたしたちの世代の多くは「いい大学にはいって、大きな会社に

はいることが人生の幸せなんだ」といわれて育ちました。


役所、銀行、大手企業、大人たちからいわれたことは、そこで何を

成し遂げるのかではなく、つぶれない組織に入って、安定と世間体を

手に入れなさいということでした。


おそらくそれは、戦争というあまりにも辛い体験をした当時の大人たちが、

平和になったこの国で、子供たちには苦しい思いをさせず安全に

生きられるようにしてあげたいという気持ちのあらわれだったのでしょう。


そんな大人たちが言う価値観に違和感を感じながらも、

中学、高校時代は、ただまわりの空気に流されるまま受験勉強に

明け暮れていました。


そのころ導入された「偏差値」がそれに輪をかけ、

何を学びたいかではなく、自分が入れそうな大学の学部は

どこかを探していました。

その後の就職に際しても、どんな仕事をしたいかではなく、

できるだけ条件のいい会社を探していました。


当時の友人たちとの会話も、「どこの大学なら入れそうだ」

「どこの会社は条件がいい」というものばかり、

「自分はそこでどんなことをしたい」という話はほとんど

していませんでした。


それどころか「こういうことで社会に貢献したい」とか

「日本をこういう国にしたい」などという思いを熱く語ることは、

何やら気恥ずかしいという空気さえ漂っていたような気がします。


わたしたちの世代の多くの人は、そんな感じで学生時代を過ごし、

大した志も持たないまま社会に出て行ったのではないでしょうか。


もしかすると、あれから今にいたるまで、この国ではずーっと

そんな状態が続いているのかもしれません。


つまり、わたしたち以降の多くの日本人は、寄らば大樹のかげ、

できあがった大きなものにぶら下がることばかり考えて生きてきた。

利権に群がって少しでもトクをすることばかり考えてきた。

ひとりひとりは、なんだかおかしいぞ、これでいいのかと思いながらも、

日本人全体がいつのまにかそんな空気に甘んじて生きてきてしまった

のではないでしょうか。


わたしは、残念ながら大手を振って「そうじゃない!」とは

言い切れません。


志のないところには、誇りが生まれない。

誇りのないところにはモラルが生まれない。


政治家も官僚も我々一般市民も、日本中が誇りもモラルもない

生き方をしてきてしまった。


その充実感、幸福感の薄さを、物欲を満たすことでごまかそうと

してきてしまった。

いくら満たしても決してほんとうの幸福感を得ることができない物欲の

追及が、ますます国をおかしくしてしまった。

絶対に食べきれないようなバカでかいハンバーガーや丼ものは、

際限のない物欲の象徴ではないでしょうか。


90年代以降、この国の国力が目に見えて低下してしまったのは、

そんなわたしたちの世代が世の中の中心になってきたことが

原因のような気さえしてしまいます。


わたしたちの心の奥深くには、ほんとうはたとえささやかでも

誇りある生き方をしたいという強い気持ちがある、高い志を持ち

そこから生まれる使命感によって誰かの役に立つ仕事をしたいと

思っている。


それは、世間体をとりつくろうことや物欲を満たすことでは

決して埋めることのできない、人間が充実感や幸福感を感じることの

できる根源的なものなのではないでしょうか。


だからこそ、苦しい訓練に耐え、苦楽をともにしてきた仲間たちと、

力を合わせて大きな使命を果たしたハイパーレスキュー隊の

誇り高い姿に、尊敬と感謝の気持ちと同時に、うらやましさを

感じたのだと思います。


ほかにも、放送室から最後の最後まで高台への非難を叫び続けたと

いう市役所の女性職員、お年寄りを助けるために自らの危険を

顧みず走り回った地元消防団の人たち、自分たちも被災者でありながら、

不眠不休の治療を続ける病院関係の人たち等々、こうした名もない

人たちの使命感につき動かされた無私の行動の数々は

「誰かの役に立ちたい」という思いから生まれる力のすごさを

あらためて教えてくれると同時に、わたしたちにほんとうに大切なものは

何かを思い出させ、大きな勇気と希望を与えてくれました。


この国難ともいえる大災害を経験した多くの人たちは、

もう子供たちに、役人を目指す理由を「食いっぱぐれがないから」

とは言わないでしょう。

電力会社を目指す理由を「つぶれないから」とは言わないでしょう。

きっと「誰かの役に立つこと」の大切さと素晴らしさを教え、

「社会の役に立つ仕事をしなさい」と教えることでしょう。


わたしも遅ればせながら、これまでの自分の無責任な生き方を猛省し、

たとえ微力であっても高い志と使命感をもって、

社会に貢献できる自分にできるせいいっぱいのことをやっていきたいと、

あらためて強く思いました。


わたしにできることは、志ある中小企業に、社員がやりがいを持って、

自らイキイキと仕事をする営業チームのつくり方を伝えることです。


わたしたちひとりひとりが、この大震災で得たたくさんの教訓を胸に、

力を合わせて、もう一度誇りある国をつくるために歩き始めたときに、

犠牲になられた多くの方々にほんのわずかでも報いることができるの

かもしれません。

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